大正9年9月26日
9月26日(日曜日)、休日。
午後2時、赤十字社正社員川崎福松氏の葬儀で弔詞を朗読する予定が、私用のため渡辺書記に代読をお願いする。
解説
川崎福松は、大磯町の大工の棟梁です。赤十字社正社員とありますが、募金したことによる会員ということです。
日本赤十字社に関することでは、この頃、1919年の第一次世界大戦の終結を機に、赤十字社連盟が設立されました。紛争時だけでなく、平時でも災害や疾病などに対する支援の必要性と、その活動が国際条約に位置づけられるべきと考え、活動が始まりました。
この連盟の基本的な概念は、当時日本赤十字外事顧問を務めていた、蜷川新(にながわ・あらた)氏(法学博士)によるものです。蜷川は、大磯町西小磯の吉田茂邸の東隣に別邸がありました。
小見助役の日誌には、大正7年6月14日に、蜷川新が日本赤十字社の慰問使であった徳川慶久の随員として、大磯駅を朝6時45分発で出発したことが書かれています。この時、小見助役は、残念ながら時間に遅れ、見送ることができませんでした。
更新日:2020年09月26日