大正9年8月30日
8月30日(月曜日)、午前7時50分出勤。
午前8時から、大磯小学校で学則改正のため、明石町小学校の先生と大磯小学校との先生による講話があった。町長が参列した。
北下町からチフス患者が発生。平塚杏雲堂の隔離舎ヘ入院させた。
午後0時30分退庁。
解説
チフス患者が発生し、大磯町の隔離舎では対応できない程悪化したのでしょうか、平塚杏雲堂へ入院しました。平塚杏雲堂病院は、結核治療病院として、東京駿河台杏雲堂医院の2代目佐々木政吉院長(ドイツ留学後、東大医学部教授)が、明治29年に設立しました。大正5年からは、3代目佐々木隆興院長(ドイツに5年間留学後、京大医学部教授)が運営していました。佐々木隆興は、帝国学士院恩賜賞を2回と、文化勲章も受賞しています。助役日誌の記載の中にも、平塚杏雲堂病院の方に入院する患者が、多々見られます。
明石町小学校とありますが、この学校は、兵庫県の明石女子師範学校附属小学校(現在の神戸大学付属小学校)のことかもしれません。同校の及川平治校長は、「分団式動的教育法」という、子どもたちが自ら学んでいくグループ学習や、教え合い学習・体験学習等を取り入れました。当時は、大変先進的な授業であったため、自由教育の中心地となり、全国各地から多くの参観者が訪れました。
平塚尋常高等小学校の井上・猪俣先生も、視察研究に出向かれたようです。大磯小学校の斎藤校長先生も、10月に関西方面へ10日間程視察旅行するため、この小学校を視察されたのかもしれません。
及川先生は、宮城県栗原市の農家の長男で、父を亡くされ、小学校をやめましたが、小学校の先生の助けがあり、学びを継続することができたということです。
更新日:2020年08月30日