大正9年7月12日
7月12日(月曜日)、午前8時30分出勤。今日から例年の通り、半引けの出勤。
避病院の医師の年番について、話し合いがあった。
午後3時退庁。
午後8時から庁舎建築委員と海水浴場委員、警察署長歓迎会幹事を役場楼上に召集し、精算などを行った。町長は欠席し、出席者は、三宅・郷土・浅沼・奥山・二宮・小見・平田区長の7人であった。署長の歓迎会は精算が済んだ。
解説
今日から役場は午前8時から正午までしか開庁しません、ということになったら、現在では間違いなくいろいろと問題が起こりそうです。しかし、100年前の当時は、真夏といえる7月11日から9月10日までは、町役場などの官庁の開庁時間を午前8時から正午までとすることが、法令(明治25年閣令第6号「官庁執務時間並休暇ニ関スル件」)で決められていました。日誌では、「半引け」と書かれていますが、これは午前中のみの出勤のことを表しています。
とはいえ、今日の小見助役の退庁時間は、午後3時(実は、日誌には午後2時とも書かれていますが、後に書かれた3時を採用しました)。避病院とは、赤痢などの感染症患者を隔離する病院のことですが、この当番のことで医師がもめたり、新庁舎や海水浴場、警察署長の歓迎会の後始末などがあったり、小見助役が忙しいことには、変わりないようです。
更新日:2020年07月12日