大正9年5月15日
5月15日(土曜日)、午前7時30分出勤。
午前中に、山王町で朝倉前校長の慰労金について解決したことを、町長に報告があり、町長も安心された。午後3時から、朝倉先生の慰労金(町から1,000円)の贈与式を大磯小学校で開催した。引き続き、朝倉先生の謝恩会を開催。
贈与式では、助役から開会の辞、町長の式辞、町会議員の祝辞、区長総代の祝辞があり、閉会。
謝恩会では、渡辺学務委員による開会の辞、藤田町長の辞、奥山謝恩会幹事による養老金(1,510円)贈呈・式辞、来賓の加藤菊次郎氏(早川小学校校長)、田中辰雄氏(工学博士)、船橋晋吉氏の祝辞、後任斎藤校長の祝辞、朝倉先生の答辞、浅沼学務委員による閉会の辞にて盛会を極め、午後5時に一同散会した。
解説
今日は、朝倉前校長先生の謝恩会が開かれました。
直前まで意見があった慰労金ですが、無事に解決して贈与式が行われ、続いて謝恩会が行われました。慰労金は町から1,000円、さらに養老金として1,510円が朝倉先生に贈呈されました。実に破格の金額ですが、明治27年(1894)から26年間、大磯小学校の校長先生として町の教育を支えた先生です。その功績は、計り知れないと言えるでしょう。謝恩会の出席者は、一つの時代の節目を感じたのではないでしょうか。
ちなみに来賓として列席している船橋晋吉は、昭和18年(1943)から21年まで第19代大磯町長を務めました。太平洋戦争中の町長です。
朝倉先生の述懐
日記の欄外には、朝倉先生の述懐として、漢詩が書かれています。
離劇職来以自閑(劇職を離れ、自閑以って来る)
随鴎垂釣独忘還(随鴎、垂釣し、独り還るを忘れる)
半宵窓外粛々雨(半宵、窓外、粛々雨)
残愛猶迷庠序門(愛しさが残り、猶、庠・序の門に迷う)
漢字7字を一句とし、4つの句を詠んだ、七言絶句の漢詩です。4つの句は、起承転結からなります。
起句の劇職とは、非常に忙しい職務のこと。教師としての忙しい職務から離れ、のどかな日々が訪れたという意味に取れます。
承句は、忙しい日々を離れ、釣りに没頭する情景を詠んでいますが、随鴎は、朝倉校長先生の前に大磯小学校の校長を務めた小野懐之(やすゆき)の雅号でもあり、この部分は、大磯小学校の初代校長を慕って、掛けられていると考えられます。
転句にある半宵(はんしょう)は、夜中の意。夜中、窓の外で粛々と雨が降る情景が歌われています。
結句の庠(しょう)・序とは、中国の昔の学校のことで、教師としての日々に対する愛惜が詠まれています。
いかがでしょうか。朝倉先生の26年間と、退職後の気持ちがよく詠まれた歌ですね。
ちなみに、日記には、この述懐の後に、「庠」とは孟子に見られる学校という意味だ、という内容のメモが書かれています。謝恩会当日に、朝倉先生が説明したのかもしれません。
更新日:2020年05月15日