大正9年3月31日
3月31日(水曜日)、午前8時出勤。
午前9時30分頃、東京府南葛飾郡砂村役場の書記、加藤兼吉氏、下山慶之助氏、権名通喜氏の3名が、大磯町役場へ事務視察に見えた。昼食に松月亭の弁当3本を取寄せた。
昨日、平塚町戸籍分担書記木内文三氏が来場され、事務の質問をされた。
朝倉校長の退職辞令を、中郡役所から受けた。午後3時、波多野訓導が報告に見えた。
午後4時10分退庁。
解説
東京府南葛飾郡砂村の役場吏員書記3名の方が、大磯町に事務視察に見えました、砂村は江戸時代、砂村新左衛門一族が宝六島を開拓した時に開拓者の名前を取り「砂村」となり、その後大正10年7月1日に砂町となりました。現在の江東区です。
波多野訓導の「訓導」という呼称ですが、旧制度で小学校の全教科の免許状を得た人が訓導、それ以外の人は准訓導、大学教員は「教授」、中学教員は「教諭」と呼ばれていました。
更新日:2020年03月31日