大正9年2月20日
2月20日(金曜日)、午前8時30分出勤。
渡辺書記が小田原へ出張した。
田代技術員が柑橘講習会の終了証書を、町長と助役に示した。
午後から加藤収入役は、葬儀のため早退した。助役が収入事務を扱う。
海軍火薬廠から海軍軍医の楠瀬氏が、廠長の代理として来場。爆発時の見舞いの返礼をされた。
午後3時、臨時町会開会。出席議員10名異議なく、原案可決。午後4時無事散会。
午後5時退庁。
解説
2月16日から18日の3日間、田代技術員は、農業講習会のため比々多村へ出張していました。その成果が、町長と助役に示されます。柑橘講習会とあるため、この講習会は、ミカンなどの栽培に関するものであったことが推測されます。現在でも、大磯にはミカン畑がたくさんありますが、大正時代の頃からミカン栽培が盛んになりました。
2月18日に平塚の海軍火薬廠で起こった事故について、助役が町長の代理でお見舞いしたことから、軍医がお礼に来場しました。
更新日:2020年02月20日