大正9年1月8日
1月8日(木曜日)、午前8時20分出勤。
戸籍事務が大変忙しく、事務を取り扱う。
竹田宮妃殿下が岩崎邸より東京へお帰りになられるのでお見送りをする。
栢木書記は病気のため欠勤。
午後4時30分退庁。
解説
戸籍事務が忙しいと書いていますが、当時書類は全て手書き。原本ばかりでなく複製1枚作るのも大変な作業でした。特に戸籍謄抄本の管理事務は、役場の仕事の中でも最重要。本来小見助役は担当ではないはずなのですが、しばしば手伝いをしています。しかも当時は書式もまだ研究段階だったらしく、研究会や講習会が頻繁に開かれ、担当書記が度々出張して受講しています。
本日のもう一つの仕事は、皇族のお見送りです。これも大磯町における特殊な一面と言えるでしょう。当時、まずは恒常的に日本中のどこでも行われていたのが駅での奉送迎です。駅での乗車・降車を送迎するのは勿論、列車で通過する皇族に対し、駅長始め町長・助役等が駅のホームに立って礼をしました。通過時刻等は事前に通知が来て、いかなる時もこれを欠くことは許されません。大磯町は、特に避暑地として皇族・華族の方々が多く訪れましたから、その方々の訪問の度に送迎が必要でした。この日は、竹田宮恒久王の妃殿下(明治天皇の第6皇女・昌子内親王)が、昨年末12月21日から避寒のため滞在していた岩崎家の別邸から東京へ戻られるのでお見送りしたことを書いています。ちなみに、夫である竹田宮恒久王は、前年4月23日に当時全世界で大流行していたスペイン風邪にかかり、享年37歳で急死しています。喪中で寂しいお正月を過ごす妃殿下と幼い皇子等を慰めるために、岩崎家が招待したのかもしれません。
更新日:2020年01月08日