ウェブ講座 吉田茂の手紙を読む <その6>

更新日:2021年11月02日

大磯町郷土資料館(旧吉田茂邸)で所蔵している吉田茂の手紙をご紹介する企画、ウェブ講座「吉田茂の手紙を読む」の第6回目です。毎月1回、全10回の連載を予定しています。

第6回目は、昭和29年2月5日付で書かれた谷口直枝子宛吉田茂の手紙を読んでいきます。
 ※谷口直枝子については、「ウェブ講座 吉田茂の手紙を読む<ご案内>」をご覧ください。

記事の構成は以下の通り。

【1】釈文(手紙に書いている文字を起こしたもの)
【2】書き下し文(釈文の読み方)
【3】現代語訳
【4】返読文字について〈2〉
【5】内容解説

また、下記の印刷用のテキストをご活用ください。

吉田茂の手紙を読む<第6回印刷用テキスト>(PDFファイル:867KB)

 

 

昭和29年2月5日付 谷口直枝子宛 吉田茂書簡

昭和29年2月5日付谷口直枝子宛吉田茂書簡
昭和29年2月5日付谷口直枝子宛吉田茂書簡2
昭和29年2月5日付谷口直枝子宛吉田茂書簡3
【1】釈文

拝啓

過日ハ御光来被下難有奉存候、又早速御礼状被下恐入候、当日来会の三嶋弥彦君急逝驚入候、人生真ニ無常と可申候、即ち又大磯ニ御出可被下、春ハよろしく御保養ニ御出願上候、小生ハ本日ハ風邪ニて国会を休み、明日より出勤、頓智供出続行仕候、呵々

先ハ御アイサツ迄、如此候、敬具

      吉田 茂

谷口直枝子様

      御前

 

【2】書き下し文

拝啓

過日は御光来下され有り難く存(ぞん)じ奉(たてまつ)り候(そうろう)、又早速御礼状下さり恐れ入り候、当日来会の三嶋弥彦君急逝驚き入り候、人生真に無常と申すべく候、即ち又大磯に御出で下さるべく、春はよろしく御保養に御出で願い上げ候、小生は本日は風邪にて国会を休み、明日より出勤、頓智供出続行仕候、呵々

先ずは御アイサツ迄、此の如く候、敬具

       吉田 茂

谷口直枝子様

      御前

 

 

【3】現代語訳

拝復

先日はご来訪くださり、ありがたく存じます。また、早速お礼状をくださり恐れ入ります。当日来ていた三嶋弥彦君の急逝にひどく驚きました。人生はまことに無常だと言えましょう。また大磯にお出でくださるよう、春はよろしくご保養にお出で願います。私は本日は風邪にて国会を休み、明日より出勤、頓智供出続行です(笑)。

まずはご挨拶まで、この通りです。 敬具

      吉田 茂

谷口直枝子様

      御前

 

【4】返読文字について〈2〉

前回に引き続き、吉田茂がよく使用する返読文字と、それらを使った語句をご紹介します。

被下(くださる) 

「被」は古文書に頻出する受身・尊敬・可能を表す助動詞で、基本の読み方は「る・らる」となります。「被ㇾ下」は吉田茂もよく使用する言葉で、「下さる」と読みます。
一般的に、「被」の文字のくずし方はいくつかのバリエーションがありますが、吉田の場合はカタカナの「ヒ」に近いくずし方をします。

難有(ありがたし) 

「難」は、「むずかしい」という意味の形容詞ですが、返読文字としては、意味は同じで読み方は「がたし」となります。「難ㇾ有」は「ありがたし」と読みますが、吉田の場合は、大体が「奉存候」とセットで登場するため、「有り難く存じ奉り候(ありがたくぞんじたてまつりそうろう)」と、「ありがたし」の「し」が「く」に活用する形となります。

可申(もうすべし)

「可」は「べし」と読む助動詞で、意志・当然・命令などの意味を表します。今回の例では、「可ㇾ申(もうすべし)」と、「申」という動詞とセットになっています。「可」のくずし方は吉田の場合、「一」と「の」を組み合わせたような形です。

可被下(くださるべし)

前出の「被」と「可」を組み合わせたバージョンです。「可ㇾ被ㇾ下」で「くださるべし」となります。文字をよく見ていただくと、「可」と「申」の間に点のようなものが挟まっているのがみえます(※印刷用テキスト参照)。これが「被」です。基本は「ヒ」のようなくずし方をしますが、時折さらに省略した形で表記されることがあります。「可申」「可被下」の文字を見比べてみると、点の存在がよくわかるかと思います。

 

【5】内容解説

三島弥彦について

文中で登場する三島弥彦は、令和2年にNHKで放映された大河ドラマ「いだてん」にも登場した、日本人として初めてオリンピックに出場した人物です。実は、三島は、吉田茂と谷口直枝子の両者いずれにも関係する人物でした。
まず、吉田にとって三島弥彦は義理の叔父にあたります。吉田の妻・雪子の母・峰子が弥彦の姉でした。峰子と弥彦は、薩摩藩出身で警視総監なども務めた三島通庸の子どもで、三島家は大磯にも別荘を所有しており、弥彦だけでなく、峰子の嫁ぎ先である牧野伸顕一家もしばしば大磯を訪れたといいます。
一方、谷口直枝子は、日本のオリンピック初参加に尽力した嘉納治五郎の姪でした。谷口夫人や弟の柳宗悦が一時暮らしていた千葉県我孫子市天神山の「三樹荘」は、嘉納治五郎の別荘の隣にあり、二人はそれぞれ嘉納に勧められて、我孫子に住んだそうです。
こうしたさまざまな縁もあり、三者のあいだに交流があったのではないかと思われます。
吉田は、つい先日会った三島弥彦が急逝したということを聞き、「人生真ニ無常と可申候」との言葉をこぼしています。近しい人の死は、少なからず吉田の心に衝撃を与えたことでしょう。

頓智供出続行仕候?

手紙の最後に「頓智供出続行仕候」とありますが、実はこの文章の意味はよくわかっていません。風邪で国会を休み、明日からまた出勤するという文脈と、「供出」という言葉が「国などの要請によって物資を差し出すこと」という意味なので、吉田独特のユーモアで「まだまだ国会に自分の頓智を差し出し続けています(首相を続けています)」というニュアンスになるのでしょうか。ちなみに「頓智…」のあとに続く「呵々」は「かか」と笑い声を表しており、現代に置き換えると「(笑)」といった表現になるかと思います。
手紙の日付をみると、昭和29年2月5日付となっており、このころは、第5次吉田内閣で吉田が首相を務めていた最後の年にあたります。鳩山一郎らの離党と復党、政局安定のための自由党と改進党との保守合同の提唱など、次第に自由党総裁としての吉田の求心力に衰えが見え始めていた時期でした。今回の手紙からはこうした政局運営の困難さはうかがえませんが、次回以降ご紹介する吉田の引退前後の手紙には、その時々の吉田の心情がストレートに表現されています。次回もどうぞお楽しみに!

次回予告

次回は、12月1日(水曜日)更新予定です。

この記事に関するお問い合わせ先

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