ウェブ講座 吉田茂の手紙を読む <その3>

更新日:2021年08月03日

大磯町郷土資料館(旧吉田茂邸)で所蔵している吉田茂の手紙をご紹介する企画、ウェブ講座「吉田茂の手紙を読む」の第3回目です。毎月1回、全10回の連載を予定しています。

第3回目は、昭和29年4月26日付で書かれた谷口直枝子宛吉田茂の手紙を読んでいきます。
 ※谷口直枝子については、「ウェブ講座 吉田茂の手紙を読む<ご案内>」をご覧ください。

記事の構成は以下の通り。

【1】釈文(手紙に書いている文字を起こしたもの)
【2】書き下し文(釈文の読み方)
【3】現代語訳
【4】候(そうろうの定型文
【5】内容解説

また、下記のPDFに印刷用のテキストと候文の用例をまとめましたので、ご活用ください。

吉田茂の手紙を読む<第3回印刷用テキスト>(PDFファイル:965.4KB)
吉田茂手紙文字用例2(PDFファイル:123.9KB)
吉田茂手紙文字用例3(PDFファイル:132.8KB)

 

昭和29年4月26日付 谷口直枝子宛 吉田茂書簡

昭和29年4月26日付谷口直枝子宛吉田茂書簡1
昭和29年4月26日付谷口直枝子宛吉田茂書簡2
昭和29年4月26日付谷口直枝子宛吉田茂書簡3
昭和29年4月26日付谷口直枝子宛吉田茂書簡4
【1】釈文

拝復

先達以来神経痛ニ悩み、無理してハぶり返し、昨今漸く全快仕候得共、先週中上京致居候為め、ふり返しハせぬかとビク〱に御座候、此病ハ薬よりハ気候の不順か障り申候、然し多分最早「ハ」〔ママ〕大丈夫と存候、久々御目ニ懸らす、廿八日若クハ廿七日夕方より晩餐ニ御出被下間敷候哉、御出相叶候得者、松平信子夫人、伊集院夫人等御招き致置可申、只今東京御都合相伺候様申付置候、余ハ拝晤の上ニ譲候 頓首

          吉田茂

谷口御後室様

      御前

 

【2】書き下し文

拝復

先達(せんだって)以来神経痛に悩み、無理してはぶり返し、昨今漸(ようや)く全快仕(つかまつ)り候(そうら)えども、先週中上京致し居り候ため、ぶり返しはせぬかとビクビクに御座候(ござそうろう)、此(こ)の病は薬よりは気候の不順が障り申し候、然(しか)し多分最早は大丈夫と存じ候、久々御目に懸からず、廿(にじゅう)八日もしくは廿七日夕方より晩餐に御出で下されまじく候や、御出で相(あい)叶い候えば、松平信子夫人、伊集院夫人等御招き致し置き申すべく、只今(ただいま)東京御都合相伺い候様(そうろうよう)申し付け置き候、余(あま)りは拝晤の上に譲り候 頓首

          吉田茂

谷口御後室様

      御前

 

 

【3】現代語訳

拝復

先日より神経痛に悩み、無理をしてはぶり返し、昨今ようやく全快しましたが、先週中上京していたため、ぶり返しはしないかとビクビクでございます。この病は薬よりは気候の不順が障ります。しかし多分もう大丈夫だと思います。久しくお目に懸かっていないので、二十八日もしくは二十七日夕方より晩餐にお出で下されないでしょうか。お出かけが叶いましたら、松平信子夫人、伊集院夫人らをお招きしておくよう、ただいま東京のご都合を伺うよう申し付けております。あとはお目にかかるときに譲ります。 頓首

        吉田茂

谷口御奥様

      御前

 

【4】候(そうろう)の定型文

前回は、吉田茂の手紙に使われている「候文(そうろうぶん)」についてご紹介しました。

今回は、具体的に吉田の手紙に頻出する「候」の文例を、手紙に登場する順にご紹介していきます。古文書でも、基本の表現となる定型文ばかりですので、ぜひ覚えてみてください。

 

仕候得共(つかまつりそうらえども) …5行目

最初の「仕(つかまつる)」は、「する」「行う」など動詞の謙譲語です。「仕候(つかまつりそうろう)」で、「いたします」「申し上げます」などの意味となります。また、後半の「候得共(そうらえども)」は「…ですが」という意味で、「得共(えども)」の部分が逆接の接続助詞となっています。

致居候(いたしおりそうろう) …6行目

「致(いたす)」は現在でもよく使う動詞で、現在と同様「する」という意味で用いられます。また、「置」は補助動詞で、「…しておく」という意味になります。「致置候」で、「しておきます」「しています」となります。

御座候(ござそうろう) …8行目

「ございます」の意味で、「候」よりもより丁寧な表現です。

申候(もうしそうろう) …10行目

「申(もうす)」は「言う」の謙譲語です。「申候」で、「申します」となります。ほかに、「申」を使った頻出の定型文としては、「申上候(もうしあげそうろう)」「申遣候(もうしつかわしそうろう)」などがあります。

存候(ぞんじそうろう) …12行目

「存(ぞんす)」は、「思う」「考える」の謙譲語です。「存候」で「思います」の意味となります。ほかに、「奉存候(ぞんじたてまつりそうろう)」は頻出の語句ですが、この場合は「奉(たてまつる)」が返読文字となりますので、「存じ奉り候」の順で読む形になります。

候哉(そうろうや) …15行目

「哉(や)」は疑問や反語の意味を表します。今回の場合は「御出被下間敷候哉(おいでくだされまじくそうろうや)」で、「お出でくだされないでしょうか」と疑問の表現となっています。

相叶候得者(あいかないそうらえば) …16行目

「相(あい)」は「相+動詞」の形をとる接頭語で、語調を整えます。21行目の「相伺候(あいうかがいそうろう)」もその一例です。後半の「候得者(そうらえば)」は「…したら」「…したところ」という意味で用いられます。

 

【5】内容解説

今回ご紹介するのは、昭和29年4月26日付の書簡です。

手紙の冒頭では、「先達以来神経痛ニ悩み、無理してハぶり返し」と、吉田茂が当時神経痛を患っていた記述があります。続きには、「昨今漸く全快仕候」と書かれていますが、同年5月9日付小泉信三宛の手紙では、「小生其後神経痛ニて引籠意外の御疎情ニ候」、また同じく小泉に宛てた9月10日付の手紙では、「先達来神経痛ニ悩み性来の無精更ニ一層を加へ茫然とし而数旬相過候」とあり、谷口夫人宛の手紙が4月26日付に書かれたものであることを踏まえると、その後に続く「ふり返しハせぬかとビク〱に御座候」という吉田の言葉通り、以降も神経痛がぶり返していたことがわかります。

造船疑獄と内閣不信任案の否決 昭和29年当時、吉田は第5次吉田内閣の首相を務めていました。29年1月に、いわゆる造船疑獄で、検察が強制捜査を開始しました。4月には、検察が自由党の幹事長であった佐藤栄作の逮捕を決定。これに対し、吉田内閣の法相だった犬養健が指揮権を発動し、佐藤の逮捕請求を差し止める一幕がありました。これにより、左右両派社会党提案の内閣不信任案が提出されましたが、改進党議員の欠席により、否決されました。この手紙は、こうした第5次吉田内閣の動揺のさなかに書かれたものです。

松平信子・伊集院芳子 文中で、谷口夫人とともに大磯の吉田邸に招待されている女性が2名登場します。松平信子は、吉田の外務省時代の先輩にあたる松平恒雄の妻で、鍋島直大の四女です。鍋島直大は大磯に別荘を構えていた別荘族のひとりで、旧肥前国佐賀藩主だった人物です。松平信子の姉である梨本宮伊都子妃も梨本宮家の別荘が西小磯にあったことから、家族で大磯にゆかりがありました。また、松平夫人の娘は、秩父宮勢津子妃で、吉田とも交流がありました。
 もうひとり、名前の登場するのが「伊集院夫人」です。伊集院夫人といえば、吉田の義理の叔母である伊集院芳子のことです。伊集院芳子は、牧野伸顕の妹、大久保利通の長女です。中国通の外交官で、第2次山本権兵衛内閣の外務大臣を務めた伊集院彦吉と結婚しました。
 松平信子、伊集院芳子、谷口直枝子らは、いずれも夫が外交官であり、おそらく吉田とも、昔の外交官時代の話ができる、気心の知れた仲だったのではないでしょうか。

 

次回予告

次回は、9月1日(水曜日)更新予定です。変体仮名の助詞についてご紹介します。

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