城山荘関係資料

更新日:2023年03月28日

資料目録

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城山荘について

城山荘(じょうざんそう)は、三井の総領家である北三井家10代当主、三井八郎右衛門高棟(たかみね、1857~1948)が築いた大磯の別邸です。

高棟は、軍医総監の橋本綱常の勧めによって、明治28年(1895)10月に大磯の城山(じょうやま)の土地を購入し、別邸としました。家族で休暇を過ごすために利用されていた別荘でしたが、大正12年(1923)9月1日の関東大震災で被害を受け、再び本格的に利用されるようになったのは、高棟が現役を引退した後からになります。

現役を引退した高棟は、昭和8年(1933)夏から、城山荘の再建に着手しました。別邸本館の設計は、息子の高公(たかきみ)と交流があり、木造耐震建築の研究をしていた久米権九郎が行いました。また、主に奈良や京都の寺院や神社から古材を集め、本館の装飾や建材に利用し、敷地内にも古材を利用した門やお堂を建てました。

昭和12年(1937)には、北三井家として所有していた国宝の茶室「如庵」(じょあん)を、城山荘の敷地内に移築しました。

お堂や茶室の他に、敷地内には窯場「城山窯」(じょうざんよう)と陶器細工所がありました。窯場では、16代永楽善五郎が京都から出張して作陶を行い、高棟自身も陶器細工場で絵付けを行いました。高棟は日本画もたしなみ、城山荘には画室「望海床」がありました。

高棟が終の棲家として築き上げた城山荘でしたが、高棟の没後、昭和45年(1970)には名古屋鉄道株式会社へ所有が移り、建物の全てが解体され、一部は移築されました。城山荘の敷地は、現在、県立大磯城山公園旧三井別邸地区となっています。

参考資料

大磯町郷土資料館企画展図録

『大磯別邸 城山荘 ―三井高棟が遺したもの―』

(大磯町郷土資料館編集、2017年10月21日刊行、500円)

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