1-3 日露戦争

更新日:2021年10月22日

日露戦争の勃発

日露戦争主要年表

日清戦争に勝利した日本は、朝鮮半島における支配権をめぐって、ロシアといくつかの条約を結び、交渉を重ねていた。一方、朝鮮と国境を接する清国東北部の満洲では、1900年(明治33年)の北清事変(義和団事件)の出兵を契機として、ロシア軍が駐屯し、当該地域を事実上の占領下においた。こうした朝鮮・満洲における権益をめぐり、徐々に日本とロシアとの間の緊張状態が高まり、1904年(明治37年)2月、ついに日露戦争が勃発した。

日本は100万を超える動員と、18億円余りの巨額の戦費を費やし、国民生活に及ぼす影響も、日清戦争以前とは比較にならないものとなった。

旧大磯町・国府村の動員状況

旧大磯町・国府村は当時横浜聯隊区に属しており、軍の徴兵・召集事務を司る聯隊区司令部から郡役所を経由して召集令状が町役場に送付された。召集兵士への令状交付は町村役場の業務で、旧大磯町役場が作成した動員に関する発送・収受文書から、日露戦争時の軍隊への動員状況を読み解くことができる。

所属内訳

 

旧大磯町出身の兵士は、主として陸軍については第1師団、第7師団、近衛師団に、海軍については横須賀海兵団に召集された。

特徴としては、海軍及び東京湾要塞砲兵聯隊への動員が多い点が挙げられる。横須賀と地理的に近い位置にあること、また当時は海軍の徴集地域が沿海部・島々を対象とし、漁業従事者など海や船の扱いに慣れている者を徴集していたことが理由と考えらえる。

また、旧大磯町における日露戦争前後の召集令状(予備役・後備役・補充兵に対して交付される)の交付回数は延べ61件(延べ198通)であり、なかには日清戦争に従軍した後備役兵の召集や、同一人物への複数回に及ぶ召集などを含む。

対露開戦決定後の2月5日には、近衛師団を含む第1軍と海軍に対して動員令が下され、旧大磯町でも、予備役・後備役を中心に、海軍12人、近衛師団6人、第1師団4人が動員された。

3月には第1師団が戦時編成に移行し、第2軍に編入された関係で、3月6日に23人が第1師団の歩兵第1~3聯隊に召集されている。

5月以降は、順次補充大隊へと補充兵が召集されている。

なお、第1師団は5月31日に乃木希典大将を司令官とする第3軍に転属となり、8月以降、数度に及び、多数の戦死者を出した旅順総攻撃に参加した。

令状交付数グラフ

軍事郵便

出征した兵士と郷里とのつながりを保つため、戦時にはさかんに軍事郵便が送られた。

大磯町高麗の曽根田重兵衛に宛てられた日露戦争関連の手紙は、戦地に出征している兵士からの軍事郵便のほか、戦地に赴く前に出した葉書や、負傷などで戦地から戻り、内地の病院に収容されている兵士からも近況報告の葉書が送られている。曽根田重兵衛は大磯町長を2度務めた人物で、日露戦争当時は軍人及び軍人家族の扶助・援護を行う大磯恤兵義会(じゅっぺいぎかい)の副会長を務めていた。

軍事郵便

曽根田重兵衛宛吉澤柳三葉書 1904年(明治37年)10月8日
差出人は、第3軍第1師団騎兵第1聯隊第3中隊に所属していた。葉書の日付が10月8日であることから、3度に及ぶ旅順総攻撃の合間に書かれたものと考えらえれる。葉書には「無事奉公罷在候まゝ他事なから御安心被下度候」とあり、自身の無事を伝える内容となっている。

戦勝記念品

大規模な動員と戦没者を出し、多額の戦費を費やして遂行された日露戦争は、1905年(明治38年)9月5日のポーツマス条約締結により、日本の勝利という結果で終結を迎えた。ロシアに勝利した日本は、講和条件で賠償金を獲得することができなかったため、日比谷焼打ち事件に代表されるように、国民の不満が噴出した。

こうしたなか、国は全国の神社や寺院、学校に対し戦利品の配布を行い、戦勝ムードの高揚に努めた。

コサック槍

コサック槍

大磯小学校旧蔵。日露戦争の鹵獲(ろかく・敵の軍用品などを奪いとる意)品。日清・日露戦争の際、全国の社寺や学校に戦争で獲得した敵国の武器や被服などが戦勝記念品として陸軍省から下付された。太平洋戦争下の金属供出などで失われたものも多く、残存している例は珍しい。

兵士への論功行賞

出征した兵士への論功行賞も日清戦争の際と同様に行われている。とりわけ、1890年(明治23年)から始まった金鵄(きんし)勲章制度による軍功を挙げた軍人・軍属への勲章及び年金の授与は、日露戦争で格段にその受勲者を増やした。

証書

証書(功七級金鵄勲章授与)

日清・日露戦争に従軍し、軍功を立てた陸軍歩兵伍長の金鵄勲章授与証書。受勲者は、日清戦争時に二等卒で出征し、1896年(明治29年)以降は上等兵として台湾守備隊に配属、日露戦争時には伍長となった人物である。証書の日付は1904年(明治37年)11月26日であり、これは第3次旅順総攻撃の日にあたる。この人物は、金鵄勲章とともに、勲七等青色桐葉章及び年金100円を下賜された。

日露戦争従軍記章

明治三十七八年従軍記章
明治三十七八年戦役(日露戦争)に従軍した者へ贈られた。

金鵄勲章

功七級金鵄勲章

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