邸内各部屋について
エントランス
玄関ホール・中庭
旧吉田茂邸 玄関
玄関は建築家・吉田五十八(いそや)がデザインしています。すっきりとした直線で構成されており、シンプルでモダンな外観となっています。
中に入ると、玄関ホール左手には大型のガラスをはめ込んだ中庭(光庭:こうてい)があり、部屋の中に光を取り入れる構造となっています。
中庭には、橋の欄干に取り付けられていた擬宝珠(ぎぼし)や、イタリア大使から寄贈されたオオシャコ貝が飾られていました。
応接間棟
昭和22年(1947)頃、当時内閣総理大臣であった吉田茂が執務室として建てた棟です。
京都祇園の歌舞練場などを設計した建築家の木村得三郎が設計に携わりました。
楓の間
旧吉田茂邸 楓の間
1階部分は、吉田茂が執務室として使用していた部屋です。
部屋には吉田と客人が談話するためのソファーセットが置かれており、応接間も兼ねていました。
部屋の飾り棚には、ジョン・ダレス元米国務長官やアデナウアー元西独首相など、吉田に関係する人物の写真が飾られていました。
昭和54年(1979)には、大平正芳首相とカーター大統領が、この部屋で日米首脳会談を行いました。
書斎
旧吉田茂邸 書斎
2階部分は、限られた身内以外は許可なく入ることができない、吉田のプライベートの部屋でした。
掘り炬燵(ほりごたつ)がある空間は、吉田の書斎として使われていました。掘り炬燵の向かいにあるガラス棚下の地袋(じぶくろ)には、吉田邸から首相官邸を直接繋ぐダイヤルのない黒電話が置かれていました。
また、部屋の北側には舟形の風呂があります。この風呂の作成には、大磯の船大工が関わったといわれています。
新館
昭和30年代、吉田茂は海外からの賓客を迎えるため、新館を増築することを決め、著名な建築家・吉田五十八に設計を依頼しました。建物は、近代数寄屋建築と呼ばれる建築様式をもちい、和と洋が融合された近代的な造りとなっています。
食堂(ローズルーム)
旧吉田茂邸 食堂(ローズルーム)
食堂として使用されていた部屋で、別名ローズルームともいいます。
部屋の中央には大きな長テーブルがあり、普段の食事だけでなく、来客をもてなす際にも使用されました。
金の間
旧吉田茂邸 金の間
賓客を迎えるための応接間として利用されていました。
「金の間」という名称は、部屋の装飾に金を用いたことからきています。
金の間からは、箱根や富士山といった山々と太平洋とを一望することができます。吉田茂はこの部屋から見える富士山を大層気に入っており、毎日のように眺めていたそうです。
銀の間
旧吉田茂邸 銀の間
吉田茂が寝室として寝起きをしていた部屋です。この部屋のベッドで吉田はその生涯を終えました。
銀の間の装飾には銀が使用されており、金の間と対になる形で、その名称の由来となっています。
吉田はこの部屋を書斎としても利用していました。部屋のガラス棚には蔵書が並べられ、ベッド横の窓際には執務用の机が置かれていました。
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旧吉田茂邸紹介動画
旧吉田茂邸×産業能率大学連携プロジェクトの一環で作成した旧吉田茂邸紹介動画を、以下のページよりご覧いただけます。
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更新日:2021年10月28日