ウェブ講座 吉田茂の手紙を読む <その4>

更新日:2021年09月01日

大磯町郷土資料館(旧吉田茂邸)で所蔵している吉田茂の手紙をご紹介する企画、ウェブ講座「吉田茂の手紙を読む」の第4回目です。毎月1回、全10回の連載を予定しています。

第4回目は、昭和27年9月25日付で書かれた谷口直枝子宛吉田茂の手紙を読んでいきます。
 ※谷口直枝子については、「ウェブ講座 吉田茂の手紙を読む<ご案内>」をご覧ください。

記事の構成は以下の通り。

【1】釈文(手紙に書いている文字を起こしたもの)
【2】書き下し文(釈文の読み方)
【3】現代語訳
【4】吉田茂の手紙に登場する助詞
【5】内容解説

また、下記の印刷用のテキストをご活用ください。

吉田茂の手紙を読む〈第4回印刷用テキスト〉(PDFファイル:759.3KB)

 

昭和27年9月25日付 谷口直枝子宛 吉田茂書簡

昭和27年9月25日付谷口直枝子宛吉田茂書簡1
昭和27年9月25日付谷口直枝子宛吉田茂書簡2
昭和27年9月25日付谷口直枝子宛吉田茂書簡3
昭和27年9月25日付谷口直枝子宛吉田茂書簡4
【1】釈文

拝復

御書難有拝見、小生昨夕帰京、明朝箱根ニ参一休の上、明後日仙台ニ赴、之を以而打止と致候、撰挙となれハ友人も敵となり、浅ましきかぎりニ御座候、されと流石ニ自分の撰挙区ニてハ、老若男女笑顔ニて送迎致しくれ、愉快ニ相過し候、先ハ御返しまて、撰挙すみ候上ニて、ゆる〱御目ニ懸るをたのしみ候、敬具

  九月廿五日   茂

谷口御後室様

      御前

 

【2】書き下し文

拝復

御書有難く拝見し、小生昨夕帰京し、明朝箱根に参り一休の上、明後日仙台に赴き、之(これ)を以(も)って打ち止めと致し候(そうろう)、選挙となれば友人も敵となり、浅ましきかぎりに御座候(ござそうろう)、されど流石に自分の選挙区にては、老若男女笑顔にて送迎致しくれ、愉快に相(あい)過(すご)し候、先(ま)ずは御返しまで、選挙すみ候上にて、ゆるゆる御目に懸るをたのしみ候、敬具

    九月廿五日     茂

谷口御後室様

      御前

 

 

【3】現代語訳

拝復

お手紙ありがたく拝見しました。私は昨日の夕方東京に帰り、明日の朝箱根に参ってひと休みの上、明後日は仙台に赴き、これでもって打ち止めと致します。選挙となれば友人も敵となり、浅ましいかぎりでございます。けれどもさすがに自分の選挙区では、老若男女が笑顔で送迎してくれ、愉快に過ごしています。まずはお返事まで。選挙が済んでから、ゆっくりとお目にかかるのを楽しみます。敬具

    九月二十五日   茂

谷口御後室様

      御前

 

【4】吉田茂の手紙に登場する助詞

吉田茂の手紙では、変則的に変体仮名やカタカナで助詞が書かれることがしばしばあります。

は(は・ハ・者)
吉田が助詞として「は」を使う場合には、カタカナの「ハ」をよく用いました。濁音を表記しないことも多くあり、今回の手紙の8行目にあるような「撰(選)となれハ」は、書き下すと「選挙となれば」と「ハ」が濁音になります。また、手紙の書きだしに使われる「陳者(のぶれば)」の場合は、「ハ」ではなく、「者」でいつも書かれています。このほか、変体仮名として「者」を用いるのは、前回ご紹介した「候得者(そうらえば)」のときです。

に(ニ)
古文書では、しばしば変体仮名の「耳」「尓」などが用いられますが、吉田の場合はほとんどが「ニ」と表記されます。「ニて」「ニては」は頻出です。

も(茂)
助詞の「も」には、変体仮名の「茂」がしばしば使われます。吉田の書く「茂」はかなり特徴的で、「江」に似たくずし方をしています。

 

【5】内容解説

今回は、昭和27年9月25日付の手紙をご紹介します。この手紙が書かれる少し前の8月28日、第3次吉田内閣を総理大臣として率いていた吉田は、突然の内閣解散に踏み切りました。「抜き打ち解散」と言われたこの解散は、サンフランシスコ講和条約締結後、活発になりつつあった反吉田勢力の動きを封じ込めるためのものでした。

文中には盛んに「選挙」の文字が見えますが、内閣解散後、10月1日の総選挙に向けて、吉田も各地で選挙活動を展開しました。手紙では「撰挙となれハ友人も敵となり、浅ましきかぎりニ御座候、されと流石ニ自分の撰挙区ニてハ、老若男女笑顔ニて送迎致しくれ、愉快ニ相過し候」とあり、選挙に対する吉田の思いが率直に書かれています。ここで出てくる吉田の「選挙区」は、高知県です。実父竹内綱の故郷であった高知県では、温かいもてなしを受けていたことがうかがえます。ちなみに、吉田の演説嫌いは有名で、壇上で演説をしなければならないときも、「吉田茂です」と名前だけ名乗って終わらせることもしばしば。コートを着たまま演説をしたこともあり聴衆からヤジが飛ぶと「外套を着てやるから街頭演説です」と答えたそうです。ユーモアのある吉田の一面がうかがえるエピソードです。

なお、10月1日の総選挙では、吉田の率いる自由党は、議会の過半数となる240議席を獲得し、10月30日に第4次吉田内閣が成立しました。

※参考文献  麻生和子『父吉田茂』新潮文庫、平成24年(原本は、平成5年、光文社より発行)

吉田茂 高知県での選挙活動の様子

高知県での選挙活動の様子 昭和20年代か

吉田茂 高知県での選挙活動の様子2
吉田茂 自由党公認候補者の応援演説

自由党公認候補者の応援演説をする吉田茂 昭和20年代か

次回予告

次回は、柳宗悦と志賀直哉が登場します。

10月1日(金曜日)更新予定です。

この記事に関するお問い合わせ先

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