100年前の1年を振り返る~1922年~
2023年もあっという間に3か月が過ぎようとしています。
恒例の100年前の大磯を振り返る、遅くなりましたが、100年前、1922年に大磯で起きた出来事を振り返ります。小見助役の日誌を一日ずつ、毎日公開する企画は、細々と続けていますので、ご覧ください。
さて、1922年、大正11年は、歴史的にはあまり記憶されていない1年かもしれません。しかし、助役日誌を更新したなかでこの1年を見ると、大磯では感染症の流行が続いていたことがわかります。
1922年6月頃は町内で腸チフスが流行し、小見助役も妻を亡くしました(1922年6月2日)。また、10月12日には漁船でコレラが発生。乗船していて感染し、死亡した者が大磯町民であったこともあり、漁師町・大磯では、早急に予防接種が行われました。100年後の現在、新型コロナウイルス感染症が流行する中、100年前に大磯町で起こった出来事は、現在にも共通する出来事に思えます。
その他、大きな出来事としては、実はこの年、1922年2月9日には、山縣有朋の国葬が執り行われました。国葬と言えば、100年後の昨年、2022年も大きな議論が起こりましたが、山縣の国葬には小見助役も参列しており、これは山縣がかつて大磯町に別荘を構えていたという縁があったからかもしれません。一方、同年1月10日には大隈重信が没しており、大隈の葬儀と山縣の国葬は、しばしば比較して語られますが、小見助役は大隈の葬儀には参列しなかったようです。
小見助役の日誌を日々紹介する企画は、今年も続けています。100年前の1923年(大正12年)は、おそらくお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、大災害が起こります。1923年9月1日を小見助役たちがどのように迎えるのか、ぜひ、引き続き、ご覧ください。
お知らせ
大磯町助役日誌の原本はこちらです。このような文字を、古文書解読クラブの有志で解読して、活字化しました!
更新日:2023年03月26日