100年前の1年を振り返る~1921年~

更新日:2022年01月12日

2022年になりました。本年もよろしくお願い致します。

大磯町郷土資料館では、一昨年から、100年前に作成された大磯町の助役日誌を、ブログ形式で毎日公開しています。

お蔭様で、ついに3年目に突入。少しずつ反響もいただき、古文書解読クラブの会員の皆様と一緒に、感謝しています。今年も更新を続けていきたいと思いますので、よろしくお願い致します。

さて、昨年もこのブログで紹介しましたが、100年前の1921年に大磯で起こった出来事を振り返ってみたいと思います。1921年、大正10年の出来事をまとめると…

相模漁業株式会社の設立

大正時代は、大磯の漁業に大きな革新があった時代でもありました。大正4年(1915)に始まったブリの定置網漁は、大磯の漁業に潤いをもたらした一方、その利益をめぐっては、漁業組合・大磯町・西小磯地区で厳格な分配契約が交わされるなど、関係は複雑でした。

相模漁業株式会社の設立は、正確には前年の大正9年(1920)12月ですが、前年の暮れに設立された新たな会社をめぐって、大正10年の前半は、新たなブリ定置網漁の契約を交わすため、断続的に交渉が行われていたことが、助役日誌の記載からわかりました。漁業の近代化が大磯という地域にもたらした影響がうかがえます。

陸軍特別大演習の実施

100年前の大正時代、当時の日本では年に一度の全国的な行事として、陸軍の特別大演習がありました。この演習は、天皇が大元帥として実施する演習で、行幸も兼ねていたため、多くの見物人が集まる一大イベントとしてとらえられていました。演習地として選ばれた地域は、演習が実施される秋までに、地域を清掃するなどの衛生管理に気を付け、道路を整備するなどの準備をする必要がありました。

この演習が神奈川県で実施されたのが、この年大正10年11月17日から30日で、助役日誌にも9月頃から準備に関する記述が見られるようになります。大磯町には演習に向かう軍隊に対応するため、休息所として湯呑所などが設置され、町役場の書記たちが準備にあたりました。そして演習初日の17日。小見助役はこの一大行事を見ることができたのでしょうか?

新嘗祭への粟の献上

新嘗祭(にいなめさい)は、毎年11月23日に行われる宮中祭祀です。天皇がその年の収穫に感謝するため、新米などの穀物を供えます。この時にお供えする穀物は、全国で選ばれた地域で準備され、献上することになっています。大正10年は、神奈川県中郡の町村が対象地域となり、大磯町では渡辺廣三が耕作人として選ばれ、粟を献上しました。

ちなみに、耕作人の渡辺廣三は、ある有名な人物の幼馴染です。

その他、高来神社の夏季例大祭(御船祭)がこの年から短縮され、1日開催になるなど、興味深い記事もありました(大正10年7月1日)。

改めて世界や日本の動きを見ますと、当時は第一次世界大戦の終結から3年後。世界大戦の悲劇を繰り返さないようにするため、11月から史上初の軍縮会議といわれるワシントン会議が開かれました。また、日本では、同じ月の4日に、当時の内閣総理大臣 原敬が暗殺されます。病気がちであった大正天皇に代わって、のちに昭和天皇となる皇太子が摂政となったのも同じ月の25日。この年の日本は、年末に向けて不安なニュースが流れていました。

ただ、これらのニュースが、助役日誌に取り立てて記載されていないことは、日誌の特徴を表していると言えるかもしれません。小見助役は、9月20日に収入役が任期満了で退職して以降、しばらく収入役が決まらなかったことによって、10、11月は収入役の代理として収入事務に追われていました。公務の記録として作成された日誌には、この時期は、収入事務を扱ったことが延々と記されているだけで、内容はとても少なくなっていました。

「100年前の大磯」大正11年分の記事はこちらです。引き続き、ご覧ください。

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