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新嶋襄(1843〜1890)の碑


新嶋襄の碑
「新嶋襄先生終焉之地」碑
徳富蘇峰の筆
 新嶋襄は明治時代のキリスト教(会衆派)の布教家・教育家で、同志社英学校(現在の同志社大学)の創始者である。
 1843年東京の神田に生まれた。本名は七五三太(しめた)といったが、アメリカ合衆国に密航中に「ジョー」と呼ばれたことから帰国後「襄」「譲」と名乗った。
 本町の百足屋旅館(現在はない)で療養中(滞在はわずか28日)、急性腹膜炎で没した。時は明治23(1890)年、年齢は46歳と11ヶ月であった。現在の碑は旅館の跡地に建てられている。
 毎年1月23日に同志社大学の関係者、大磯町民らによって碑前祭が行われている。





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