サフラン栽培

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“サフラン”って聞くと思い浮かべるのは… サフランライスではないですか。

パエリアやカレーの黄色いご飯、その黄色のもとがサフランで、粉末状のものは着色料・香辛料として市販されていますね。

なんと 、 サフランは大磯がはじまり なのです。

大磯の 『サフランはじめて物語』のはじまりはじまり~

1.サフランって何??

よく目にするサフランの粉は、実はサフランの花の雌しべを収穫し、乾燥、粉末状にしたものです。

サフランの花

サフランの花弁

添田辰五郎

サフランは明治時代まで高価な輸入品でしたが、このサフランの栽培を日本で最初に実施した人、 添田辰五郎 は大磯町国府本郷に住んでおり、栽培も当時の国府村で試みられました。
日本のサフラン栽培は国府村で始まった、ここに大磯が「サフラン発祥の地」であると言われる根拠があります。

日本で最初に行われた辰五郎のサフラン栽培の様子を紹介します

2.添田辰五郎のサフラン栽培顛末記

辰五郎の母が病にかかり、常にサフランを服用していました

添田辰五郎

サフランはとても高価な薬だ。なんとかしてもっと手軽にサフランを入手することができないだろうか ? 母が心置きなく服用できるようにしたいなー

(辰五郎がサフランの栽培を思い立ったきっかけは 「お母さんの薬をなんとかしたい!」 という母への愛からだったんですね。)

1881(明治14)年

 「サフラン」は外国産の植物から作られていることを知る

1886(明治19)年

  ヨーロッパから5円でサフランの種球5個を入手

添田辰五郎

果たしてこの球根は本当にサフランなのだろうか ?
知人にお願いして球根を手にいれたから、本当にサフランかどうか不安だ... 周りの人にはサフランとは言わずに、「唐ラッキャウ」を栽培していると言うことにしよう...

3年が経過

1889(明治22)年

やっと3輪の花が開花

雌しべを収穫し乾燥させ、サフランであることをついに確信

添田辰五郎

やっと 3輪の花が咲いたが、まだまだ栽培方法がはっきりとわからない...
いろいろな工夫をして試してみよう !!
もう少しの間、唐ラッキャウ と言うことにしよう

1896(明治29)年10月

  日本でも品質がよいものを栽培できることを確信

添田辰五郎

今までの経験と実験から、自信が持てる品質のいいサフランができた !!
日本でもサフランは栽培できるんだ !!
もしかしたらサフランの栽培には、国府村よりもっといい場所が日本にはあるんじゃないかな~。
それに日本でもっと栽培が広がれば、サフランを輸入に頼らなくてもよくなるかもしれないし、それどころか輸出できるようになるかもしれない !!

サフランの球根の販売に力を入れる

サフラン種球販売宣伝ポスター

サフラン種球販売宣伝ポスター

サフランの商標登録

サフランの商標登録

1897(明治30)年10月

栽培開始から10年、横浜衛生試験場へ試験を出願 「日本薬局方所定の性質適合するものなり」  の報告を受けました

1898(明治31)年~

宮内省に献納 以後毎年、宮内省買い上げとなる

1898年10月 

日本薬学会会頭理学博士・長井長義氏がサフラン栽培の貢献を称え、添田辰五郎に賛辞をおくる

1903(明治36)年

第10回内国々益品博覧会において名誉金牌授与
第5回内国勧業博覧会において二等賞牌授与

注釈:添田家には、宮内省のサフラン買い上げが縁で、宮中から昭和天皇ゆかりの品や宮家から感謝状などが送られたそうです

サフランの栽培研究に取り組みながらも、地元の偉人との交流もあったようです

3.添田辰五郎と大磯の偉人との交流

大磯海水浴場開設者 松本順

毎日のように辰五郎のもとを訪れていたと地元では伝わっています

初代総理大臣 伊藤博文・梅子夫人

「おじいさんいる」と声をかけながら辰五郎のもとをよく訪れたといわれています

 

『サフランはじめて物語』  おわり

参考資料

『郷土に於ける特産物の由来 (国府村) 昭和九年六月』 国府村立実業補修学校編
『サフランで町並みを飾りませんか ?』 外川敏子
『 大磯の今昔』 鈴木 昇
『おおいその歴史』『大磯町史』

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