旧島崎藤村邸

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ご案内

大磯町東小磯88-9 (JR 大磯駅より徒歩5分 ) 

開場時間 9時~16時

入場料 無料

休場日 月曜日及び12月29~1月3日

問合せ先 大磯町産業観光課 電話 0463-61-4100

 

萬時閑居簡素不自由なし  ~余にふさわしき閑居なり~ 

旧島崎藤村邸

大磯駅より東海道線路沿いに徒歩 5 分。町屋園と呼ばれた藤村の旧宅は、三間の平屋建ての民家 で外壁には杉の皮、引き戸には大正ガラス ( 現在は希少 ) が使われている。小さい素朴な冠木門に割竹垣に囲まれた小庭。 カナメやモチの若葉、朝顔や萩、湯河原から取り寄せた寒椿が花を咲かせる小庭の眺めは藤村の心の慰めで、この家を「靜の草屋」と呼んでいた。また簡素を信条とする藤村の気配りが今も感じられる。

島崎藤村(18​72~1943)

島崎藤村

1872年信州木曽の馬籠村(現・岐阜県中津川市)に生まれる。 ロマン主義詩人として『若菜集』などを出版。『落梅集』の一節にある『椰子の実』や『千曲川旅情の歌』は歌としても親しまれている。

三間の一室は茶室風に作られた小座敷で、静子夫人は書斎とよび、藤村はこの部屋で畢生の大作『東方の門』を執筆。

昭和18年8月21日。
朝9時半頃、藤村は廊下に立って庭を眺めながら静子夫人に 「まだあすこを書いているんだよ、しかしこんどは思うように出たと思うがね、あすこが出来てしまえば、あとは雑作ない、和助が東京を立つだけだから…一寸今、読んで見てもらおうか。」

旧島崎藤村邸_入口

「原稿を読んでしまったら、きょうはお菓子をつくってくれ。」
茶の間で静子婦人が茶棚をうしろに机に向かい、藤村が机をはさんで端座して聞いている。
「青山半蔵には、中世の否定ということがあった…」その行から三四行読んだ頃、
「ひどい頭痛だ」と藤村の小さな声。藤村は茶棚にある常備薬を取りに行くが、静子夫人に倒れかかった。
「どうしたんだろうね。」いつも通りの静かな藤村の声。
「気分もよくなってきた、頭痛もしないよ…眼まいはちっともしない…涙を拭いて…」
「原稿が間に合うかね、そう 50 枚あるし…あそこで第三章の骨は出ているしね…」 東の方の庭に眼をやってじっと見ているかと思うと、
「涼しい風だね」 庭から眼を離さず気もちよさそうに涼風の過ぎるのを感じているようです。もう一度
「涼しい風だね」と……。

旧島崎藤村邸_縁側

そのまま深い昏睡、意識はかえらず、翌22日午前0時35分に大磯の地で永眠。
『東方の門』は「和尚が耳にした狭い範囲だけでも」までで遂に未完で終わりました。

町屋園は藤村亡き後静子夫人が住んでいましたが、終戦間近の切迫した状況により箱根に疎開しました。
町屋園が空家になってしまうことから昭和 24 年から高田保が住み始め、著作の『ブラリひょうたん』は大部分が町屋園で書かれました。
高田保は昭和27年にこの町屋園、藤村邸で没しました。その後静子夫人が昭和48年に亡くなるまでお住まいになりました。

【藤村忌】

藤村忌

毎年藤村の命日である8月22日、墓参・献花を行います。 藤村が眠るのは大磯駅より徒歩5分のところにある地福寺。藤村は生前、静寂で趣があり海も街道の彼方にちらりと見えて、潮風も吹き通ってくるような地福寺の境内を好みよく散歩の時に立ち寄られて、自身の墓地も此処に選びたいと言われていたらしいです。

日  時: 平成27年8月22日(土曜日) 10時00分 ~ 11時00分 
場  所: 地福寺
内  容: 地福寺住職による回向後、参列者による献花・献香
参加方法: 当日地福寺に直接お越しください。

参考・引用文献

『島崎藤村コレクション第二巻 知られざる晩年の島崎藤村』 青木正美著 株式会社国書刊行会

島崎藤村作品 『若菜集』、『破壊』、『夜明け前』、『春』等
『椰子の実』『千曲川旅情のうた』は今も唄い継がれている。

人物写真は国立国会図書館ウェブサイトより転載 旧島崎藤村邸 -靜の草屋-

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電話番号:0463-61-4100(内線:334)
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