妙大寺

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妙大寺は、老松の下に静かに眠る大磯海水浴場を開設した松本順の墓があることで知られています。

妙大寺1

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松本順(1832年7月13日-1907年3月12日)

大磯海水浴場開設者は新撰組と関わりが・・・ !!!!!

1885年に大磯に日本初の海水浴場を開設し、寂れていた大磯を別荘地帯として新しく生まれ変わらせた大磯の大恩人です。名物虎子饅頭を持って東京の名士に会ったり、海水浴場の演目を歌舞伎に取り入れ大磯海水浴場を宣伝したりと名プロデューサーでもありました。

海水浴場発祥の地

妙大寺3

さて、松本順が新撰組とかかわりがあったことはご存知ですか ?

1864年江戸に来ていた新撰組の近藤勇が松本順(当時の名は良順)を訪ねています。3日後には胃腸の調子がすぐれず良順の診察を受け、神経性胃炎で消化不良を起こしているという診断をされ、薬を処方されています。

1865年には西本願寺に屯所を移していた新撰組を良順が訪ね、「泣く子もだまる新撰組」が病人だらけなのに驚いたそうです。浴場を設けて体を洗うことや、厨房や洗濯場を別にして、不潔な食べ物や衣服を与えないことが大事だと説きました。良順が近藤としばらく一杯やりながら歓談していると、 土方歳三 がやってきて良順の指示どおりに病室をしつらえたというのです。指示したとおりに見事に浴場も台所も整えられており、良順は大変驚いたそうです。それから良順は週2回、新撰組に往診に出かけるようになりました。

その後、会津から庄内、仙台へと入り、義理の甥(良順の姉の娘婿)の榎本武揚と合流。榎本と土方はエゾへ向かうが、良順は「江戸に戻る。江戸に洋方の大病院を作る。これからの医療を洋方に改めねば死んでも死にきれない」と。土方も「松本先生のような当代一流の御医者は、こんな戦で死ぬべきではありません。われわれとちがってこれからの日本国になくなてはならない大事な御方です。」と江戸への帰りを薦めた。

戦後は一時投獄されましたが、1871年には大磯に別荘を構えた山県有朋の要請により軍医頭に復帰し、松本順と名乗るようになりました。

『松本順自伝・長与専斎自伝』平凡社

「空の石碑 幕府医官松本良順」(篠田達明著NHK出版)には、1868年からの戊辰戦争では、左足の甲に粉砕骨折を起こしていた土方歳三の手術をしたという記述もあります。

松本順が大磯に別荘を構えたのは明治19(1886)年~20年ごろと言われています。大磯駅の北側にある羽白山の麓、妙大寺と御嶽神社の間あたり。 明治40(1907)年、3月12日大磯の邸宅にて満74歳で死去、17日午後1時より妙大寺にて葬儀が行われ鴫立庵に埋葬されました、昭和29(1954)年に遺骨を妙大寺に改葬しました。

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従三位勲一等男爵松本順先生墓

墓碑は松本順の実弟である外務大臣林董の筆による。

毎年、海開きの日に松本順の墓に墓参し、御高徳に感謝の意を表しています。


妙大寺に眠る偉人を紹介します。

樋口季一郎(1888年8月20日-1970年10月11日)

モーゼ、メンデルスゾーン、アインシュタイン、 樋口季一郎 ・・・・・・。 

イスラエルエルサレムの丘にある『ゴールデンブックの碑』に樋口季一郎の名は、なんと4番目に刻まれています。 「偉大なる人道主義者 ゼネラル樋口」と・・・。

1938年3月8日ハルピン特務機関長であった樋口のもとにソ連領オトポールにナチス・ドイツに迫害された2万人のユダヤ難民が立ち往生しているという一報が入ります。
日本はドイツと有効関係にあったにも拘わらず、樋口はこれは人道問題であるとして、独断専行でユダヤ人救済を決断。3月12日の朝、ユダヤ難民全員がハルピン駅に到着。満州国政府やユダヤ人協会は炊き出しをし、宿舎・衣服などを用意しました。
終戦後、ソ連は樋口を戦犯に指名したが、 NYに本部を置く世界ユダヤ人協会が「オトポールの恩を返すのは今」と樋口救助運動を広め、マッカーサーをしてソ連側に引渡し拒否を言わしめたのである。
外交官杉原千畝氏 とともに「日本のシンドラー」 といっても過言ではないでしょう。

「樋口季一郎将軍の決断 二万人のユダヤ人を救った仏教徒」 小野文?著より 「流氷の海 ある軍司令官の決断」 相良俊輔著 より

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相良俊輔

「流氷の海 ある軍指令官の決断」の著者であり、樋口氏を慕って墓所を妙大寺に求め、没後、樋口季一郎氏の墓地の近くに葬られている。

福田恆存(1912年8月25日-1994年11月20日)

大磯に在住し 評論家、翻訳家、劇作家として活躍されました。戦後の国語国字改革を批判し、 1955年~1956年にかけて金田一京助氏らと論争。その集大成が歴史的仮名遣のすすめを説く1960年の『私の国語教室』(新潮社、読売文学賞受賞)である。
翻訳家としてはマクベスやハムレットなどのウィリアム・シェイクスピアの四大悲劇を始めとする主要戯曲(シェイクスピア全集 河出書房)やアーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』、 D・H・ロレンスの『恋する女たち』、オスカー・ワイルドの『サロメ』等、多くの翻訳をしている。
劇作家・演出家としても活躍し、1952年には文学座で『ハムレット』の演出を担当するが、文学座の看板女優・杉村春子との意見の相違から1956年に退座。1963年に現代演劇協会を設立し、代表に就任した。
1970年代後半のフジテレビ系列の政治討論番組『福田恆存・世相を斬る』のホストとしても活躍した。

参考文献『一度は考えておくべき事』福田恆存著 『日本大百科全書20』小学館

所在地:大磯町東小磯19
行き方:JR大磯駅より徒歩5分

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