大運寺

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大運寺は、衆議院議長を務めた中島信行、その妻俊子、および安田靫彦画伯の眠る寺として知られています。
また、ご本尊の木造阿弥陀如来坐像は町指定文化財です。

 

大運寺

大運寺木像阿弥陀如来像

自由民権家 中島信行氏( 1846 ~ 1899 )

中島

高知藩士であり、坂本竜馬の海援隊に入り最も愛されたそうです。自由民権主義を貫き通し、1890(明治23)年、第一回帝国議会が開かれた時の初代衆議院議長を務めています。

1896(明治29)年、大磯山王町に土地を購入し、1898(明治31)年11月に別荘を築きました。前年には初代内閣総理大臣の伊藤博文が滄浪閣を築いており、中島と伊藤には親交があったようです。が、別荘建築の翌年、1899(明治32)年病気のため亡くなりました。

第一回帝国議会では、衆議院議長が中島信行、貴族院議長が伊藤博文、内閣総理大臣が山県有朋でした。山県有朋は明治20年に大磯に別荘を構えており、最初の国会の三役が大磯に住んでいたことになります。
1907(明治40)年に発行された『大磯誌』にも、山王町に中島久万吉氏(信行の長男)、台町に山県有朋氏、西小磯に伊藤博文氏が在住していたとあります。

作家 中島俊子氏(1863 ~ 1901)

大運寺3

また、妻で文学作家でもある中島俊子氏(号は湘烟)(1863~1901)の墓もあります。小説『一沈一浮』を1897(明治30)年に、その後は『大磯だより』、『初夢』、『梅と松』などが雑誌に掲載されました。山王町の別荘では、伊藤博文や夫人の梅子氏に書道を教えたそうですが、1901(明治34)年に亡くなりました。

中島夫妻は、没後も夫婦寄り添うように眠っています。

中島信行の碑銘は 伊藤博文の筆により「長城中島君墓」とある。中島俊子の碑銘は、「中島湘烟之墓」。

画家 安田靫彦氏 (1884 ~ 1978)

1958年(昭和33年)から横山大観氏亡き後の日本美術院理事長を務めた安田靫彦氏(1884~1978)も眠る。安田靫彦は1914年から大磯に滞在し、昭和戦前期の大作「黄瀬川陣」をはじめ、戦後も卑弥呼や額田王などの歴史画を創作しました。

 

関連リンク

大運寺 木造阿弥陀如来坐像

 

 

※人物写真は国立国会図書館ウェブサイトより転載

所在地:大磯町大磯1004
行き方:JR大磯駅より徒歩5分

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